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BFP Coop D3A&B5N
その後、集合予定空域に到着、待機しているとポツポツと攻撃隊が合流してくる
攻撃開始前に比べると明らかに数が少なくなっている上に、傍目からも損傷を受けているのであろう機体なども確認できる
「 怪我してるやつはいないか? 」
集合予定空域は別に安全な空域では無い為周囲に目を光らせながら
声を掛けてきた操縦士の呼びかけに
「 大丈夫です・・・・ 」
と、全員から返答が在りこの機体の搭乗員の無事が確認、同様に、二番機、三番機からも問題なしと返事が返ってくる
安全の為に規定時間待機した後、先導機が帰路に向けて進路をとる
此処にいない機体は落とされたのか、真っ直ぐ帰還したのか無電封鎖中の為知ることは出来ないが今は祈る事しか出来ない
帰路の最中も、敵機と遭遇する可能性があるので安心はできないが
ハワイ島から離れると共に徐々に生き残ったと言う安心感が心を満たしていく
帰路も当然行きと同じ時間飛んでいるのだが
緊張が解けたせいか、行きより長く時間が掛かっている感覚に囚われながら
空母が見えるのを今か今かと待ちわびつつ、何処までも広がる大海原に目を凝らす
遠くに空母の陰が見え、進路が間違っていなかった事に感謝しつつ
帰ってきたと言う、何とも言えない安堵感に包まれる
本来ならば、空母に足を付けるまで安心するのは間違っているのだろうが
やはり、死んでしまう可能性がある所から安全な所まで帰って来た感じは誤魔化しきれない
損害の大きい機体から、空母に着艦を開始する
搭乗員は厳しい訓練を経て皆熟練であるとは言え油断は禁物である
順次降りていき、私達の番が回ってくる
着艦フックを下ろし、空母に進路を合わせ進入を開始する
甲板に接地する衝撃の後、フックがワイヤーに引っ掛かり前に強く体が投げ出される
後続の着陸機の為に、速やかに機体が前に移動された後整備兵が駆け寄ってくる
機体から降りて周りを見渡すと甲板上は次から次に降りて来る機体を捌きながら
負傷者を医療室に運んだり機体の損害を確認する為、かなり殺伐としているようだった
「 海に落ちたぞ!! 」
叫び声の方に振り返ると着艦失敗した機体が波間に漂っている
最後の最後で、力尽きてしまったのか今は知ることは出来ないが
着陸収容中の空母が止まる事は無いので、随伴の駆逐艦にすぐに救助されるだろう
願わくは、搭乗員の無事を祈る・・・・
振り返って見ると、第二波攻撃隊は予測通り米軍の反撃により多大な損害を被る事になった
我が攻撃隊だけでも最終的に、
発動機の故障で引き返した機体を除き四機の艦攻が戻ってこなかった
(後日、二機の搭乗員は駆逐艦に救助されていた事が判明)
その後、全機収納がすむと検討されてた第二次攻撃は行われる事無く
様々な思いと共に、作戦終了と相成った
今作戦は犠牲者は出たものの、無事成功した喜びと大きな戦果で沸き立つ艦内の賑やかな声を聞きつつ
私は大本営に提出する報告書を作成しながら帰路についた
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丁度その頃、アメリカではルーズベルト大統領が
「 1941年12月7日は屈辱の日として記憶され続けます。この痛手の克服に幾ら時間が掛かろうとも
米国民は、正義の力で完璧な勝利を手に入れるのです 」
と宣言していた・・・・・・
著 和陀誉